クーポラだよりNo.68~雁行とサンライズ・サンセット・ラリー~


 雁(かり)がわたる 鳴いてわたる 鳴くは嘆きか喜びか 月のさやかな秋の夜(よ)に

さおになり かぎになり わたる雁 おもしろや


 雁がおりる つれておりる つれは親子か友だちか 霜のましろな秋の田に

むつましく つれだちて おりる雁 おもしろや


この歌詞は明治45年(1912年)刊行された尋常小学唱歌の第三学年用の文部省唱歌「雁がわたる」で、4拍子のその旋律は単純ですが、とても美しい曲です。


雁(かり)とは、秋に日本へ飛来するガンの総称で、マガンやヒシクイ、カリガネ、ハクガン、コクガン、シジュウカラガンなどがいます。


ガンはツバメのように日本を繁殖地とせずに、冬の間、日本の湖沼や湿原でのんびりと羽を休めて力を蓄え、春になると海を越えて北へ渡り、北米大陸やユーラシア大陸の寒帯で産卵し雛を育てます。


春、北の大陸で生まれたガンの雛は、夏の間中、親鳥と行動をともにしながら成長し、秋の渡りまでには立派な若鳥になります。


しかし、ガンの若鳥は、飛び方は知っていても、渡りのルートは知らないので親鳥のあとについて日本までのルートを覚えます。


ガンは、渡りをする時はV字編隊を組んでお互いに鳴き合って励まし合いながら空高く飛行します。


このガンの編隊を雁行とよび、秋に初めて渡ってくる雁行を初雁とよびます。


雁行は日本の絵や和歌の主題として、昔からたくさんの作品に登場しています。


まず、文学の世界では、平安時代の女流歌人、清少納言が随筆「枕草子」の秋の段で雁行について語っています。


秋は夕暮れ。

夕日のさして山の端 いと近うなりたるに からすの寝どころへ行くとて 三つ四つ二つ三つなど 飛びいそぐさへ あはれなり。

まいて雁などの つらねたるが いと小さく見ゆるは いとをかし。


(秋は夕暮れがよい。

夕日がさして、山の端に近くなっているところに、からすがねぐらに帰ろうとして、3羽4羽、2羽3羽と急いで飛んでいく様子さえも、しみじみとした趣きがある。

ましてや、雁などが列をつくって連なっているのがとても小さく見えるのは、たいへん趣き深い。)


短歌の世界では平安の歌人で土佐日記の作者、紀貫之が憂き世を渡るつらい心情を雁行と巧みにかけあわせて和歌に詠んでいます。


初雁の なきこそ渡れ 世の中の 人の心の あきし憂ければ


(秋に初雁が渡って行くが、私も世の中を泣きながら渡っている。世の中の人や、あの人の心が飽きてしまったのが辛いので)


浮世絵では江戸時代の絵師、歌川広重が大きな月を背景に、三羽の雁が水辺に舞い降りようとしている瞬間「月と雁」を描きました。


親鳥らしい雁が先導し、後をついていく子供らしい雁がよそ見をしている姿が、なんとも微笑ましい雁行です。


音楽の世界では滝廉太郎作曲、土井晩翠(どいばんすい)作詞の「荒城の月」が有名です。


荒城の月は、明治時代1901年に西洋音階を初めて取り入れて作曲された歴史的な日本の芸術歌曲ですが、その2番の歌詞に雁が登場します。


秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて 植うるつるぎに照りそいし むかしの光いまいずこ


いつの時代にも自然を観察し愛でながら心豊かに暮らしてきた日本人と雁行は深く結びついてきたのです。


昭和生まれの私も「雁がわたる」を小学生の頃に歌い、「枕草子」は中学の国語で、紀貫之の和歌は、高校の古典で習い、「荒城の月」は、中学校音楽必須指導教材でしたので教師時代に毎秋、生徒たちと歌い、机上や音楽の世界では長い間雁行に親しんできました。


しかし残念ながら本物の雁行を一度も目にしたことはなかったのです。


私の生まれ故郷の岡山は、温暖な気候で、いろいろな種類のカモが毎秋たくさん渡ってきて、自宅近くの池や湖で見ることができますが、寒い地方を好むガンは渡ってこないのです。


けれど、先日参加したオートバイラリーで生まれ初めて雁行を目にする幸運に恵まれました。


私が参加したラリーは、自選した太平洋側の海岸地点から日の出とともにスタートし、同日の日没までに日本海側の砂浜、千里浜海岸にゴールするというルールの「サンライズ・サンセット・ラリー」です。


サンライズ・サンセット・ラリーは、スタートからゴールまでの道順も、オートバイの排気量も自由で、2輪免許を持っている人なら誰でも参加資格があり、完走できた選手は全員勝者であるという自己完結型のラリーです。


昨年初参加した私は、スタート地の新岡山港からゴール千里浜海岸まで、雨風に守られた車でさえも過酷な500キロの距離をオートバイで走り切れるかどうか不安でした。


しかし無事に完走できて、大きな達成感を味わうとともに、自分の中に潜む力に驚きました。


50代後半の自分にも、まだこんなにも体力があったのかと思うと不思議で、今年もう一度完走できるかどうか自分に挑戦してみたくて、再びラリーに参加したのです。


今年はコロナの影響で開催が秋にずれ込み、日照時間が短く気温も低く、厳しい条件下のラリーで、私がスタートした10月4日は、途中で雨に降られ激しく体力を奪われながらの走行でしたが、午後2時過ぎ、日本海が見えるところまで来たとき、初雁に遭遇したのです。


小学生の頃、意味もわからず歌っていた「雁がわたる」の歌詞や清少納言が「いとおかし」と表現したとおり編隊を組んで高い空を渡る雁を見た瞬間の驚きと感動は、私だけの忘れられない宝物の風景となりました。


また初雁を目にした感動で、それまでの疲れも吹き飛び、元気を取り戻し、残り約200キロを走り切って日没までに千里浜海岸に到着して今年も完走できました。


2回目の完走で私が確信したものは、人が疲れ切って、前進できなくなった時に生気を取り戻すきっかけは、肉体のための栄養だけでなく、心のための栄養が必要なのであり、日本人はそれを自然に求めてきたのだなと思いました。


このラリーの発案者は南極も北極も、エベレストもオートバイで到達し、サハラ砂漠を渡る過酷なラリーで有名なパリ・ダカールにも完走した経歴の持ち主のオートバイ冒険家、風間深志氏です。


風間氏は昨今、減少しつつあるオートバイ愛好家の輪を広げたいと、このサンライズ・サンセット・ラリーを発案しました。


地球の両極までオートバイで到達した風間氏は、きっと彼だけの宝物の風景や心の栄養となる美しい思い出をたくさんお持ちなのだろうと思います。


そして自分だけの宝探しの旅の醍醐味を多くの人に伝えたくて、サンライズ・サンセット・ラリーを発案したのではないかなと思いました。


2020年10月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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