クーポラだよりNo.106~恐ろしい体験とユネスコ無形文化遺産~


美しい声はその持ち主よりも、他者の方に価値がわかるようです。


童話「人形姫」の主人公は声を代償に魔女と取引します。


深い海の底のお城で暮らす人魚姫のひいさまは、15歳の誕生日が待ち遠しくてなりません。


15歳なったら、海の上に浮び上がって人間の世界を見ても良いからです。


ひいさまは1歳ずつ年の離れた6人姉妹の末娘です。


15歳になった姉さまたちが、毎年順番に海の上に浮かび上がって、見てきた人間世界のことを話してくれるたびに、ひいさまは、まだ見ぬ世界への憧れを膨らませていきました。


念願の15歳になった日、海の上に浮かび上がったひいさまの目に留まったのは、船上の美しい王子でした。ひいさまはその王子に恋をしてしまいました。


その夜、嵐がやってきて船は大破し、王子は海へ投げ出されてしまいます。


ひいさまは溺れかけている王子を助けて砂浜へ運び、また深い海の底へ戻っていきました。


深い海のお城で、王子を想い、想うだけでは堪えられなくなったひいさまは、とうとう海の魔女ところへ行って人間になれるように頼みました。


すると魔女は、「人魚を人間にする薬は、自分の胸の血をたらして調合するから、その代償はとても高くつくよ」と言いました。


魔女が要求したのはひいさまの美しい声でした。


ひいさまは、誰もおよぶことのない美しい声をもち、その声で素晴らしい歌を歌うことができたのですが、その美しい声を、恋心ゆえに、あっさりと魔女に差し出したのです。


魔法の薬の高価な代償が美しい声である、とした作者の意図がとても興味深く私には感じられます。


人魚姫の作者は、デンマークを代表する童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンです。


アンデルセンは1805年、デンマーク最古の都市の1つ、オーデンセに生まれました。


オーデンセという地名は北欧神話の主神オーディンに由来するものです。


働き者で信心深い母と、手作りの人形劇の舞台でアラビアン・ナイトや創作劇を楽しむ父を持つアンデルセンは、豊かな想像力を育みながら幼少期を送りました。



しかし、11歳の時、父が精神を病んで亡くなり、13歳の時、母が再婚したので、アンデルセンは学校を中退し、織物職人の見習いをしますが、空想好きで現実的な職業には向いていない彼は、オペラ歌手を目指して首都コペンハーゲンに行きます。



アンデルセンには美しいボーイソプラノの声がありました。



けれども、変声期を過ぎたあとは、その美しい声は失われ、アンデルセンはオペラ歌手の道をあきらめて童話作家となったのでした。



幼いころから当たり前だった自分の美しいボーイソプラノが、変声期を過ぎたあと、二度と戻ることがないのだと悟った時のアンデルセンは、さぞかしショックだったことでしょう。



声と引き換えに魔法の薬を手に入れる人魚姫のストーリー展開は、アンデルセンの実体験によるものに思えてなりません。



実は私も、アンデルセンと同じように、つい先日、美しい声を失う恐ろしい体験をしました。



2023年11月25日の大人バレエ舞台発表の翌日の夜、39度近い高熱が私を襲いました。



熱は数日で下がりましたが、今度は、激しい咳が昼夜絶え間なく出続け、私は歌うどころか、話声さえ出なくなってしまいました。



咳は声帯にとって凶器です。



咳を出せば、ナイフのように鋭利な刃物で声帯に傷を入れているようなもので、連続した咳は、声帯を傷だらけにします。



そしてそれが長引けば、元の声質が変わってしまう危険さえあるのです。



ベルカント唱法を学ぶためにイタリア留学した時、咳については恩師のカヴァッリ先生から厳重注意を受けていました。



Toshiko(トシコ), il(イル) tosse(トッセ) é(エ) molto(モルト) male(マーレ) per(ペル) la(ラ) voce(ヴォーチェ) (利子、咳はとても声に悪いのよ)



そして冬の寒い日はレッスンが終わったあと、帰ろうとする私に向かって先生はいつも言いました。



Tenete(テネーテ) il(イル) cappotto(カポット) ben(ベン) chiuso(キューゾ) e(エ) non(ノン) fai(ファイ) freddo(フレッド) alla(アッラ) gola(ゴーラ). (コートをしっかり閉じて、喉を冷やさないように。)



ベルカント唱法は、毎日の発声練習で維持します。



アスリートたちが毎日の筋肉トレーニングで筋肉を鍛えて運動能力を維持するように、オペラ歌手たちは毎日の発声練習で声帯を鍛えてベルカント唱法を維持するのです。



ですから私もベルカント唱法を維持するため、毎日の発声練習を欠かず、カヴァッリ先生の言いつけを守って30年近く風邪も引かずに咳とは無縁だったのに、あろうことか、大人バレエ舞台本番翌日、少しの気の緩みから、不完全な防寒でオートバイに乗り、冷たいアイスクリームを食べて喉を冷やし、高熱を出して肺炎になりかけたのでした。



日課だったベルカント唱法の発声練習ができず、歌えない日々が続き、声が出ないことがこんなにも悲しいことだと身に染みてわかりました。



アンデルセンが、魔法の薬の対価は美しい声だとしたことも納得できます。



そして声が出ない期間中に素晴らしいニュースを耳にしました。



2023年12月6日、ベルカント唱法がユネスコ無形文化遺産に認定されたのです。



カヴァッリ先生から教えていただいたベルカント唱法は、人類の宝だと世界が認めたのです。



お馬鹿な私は、そんな素晴らしい瞬間に、何十年も発声練習を続けて、維持してきたベルカント唱法を失いかけたのでした。



人類の宝物であるベルカント唱法を自分の声で毎日歌える幸せに感謝して、二度と声帯を危険にさらさないよう気をつけようと肝に銘じた恐ろしい体験でした。



2023年1月29日

大江利子

(↑1993年 カヴァッリ先生と筆者 イタリア ミラノ セスト・サンジョヴァンニの先生のレッスン室にて 撮影 大江完)

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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