クーポラだより No.93~私の弾き語り人生と鈴木先生~


「僕はできないけど、君たちは、自分が歌う曲は、自分で伴奏(弾き語り)できるようになりなさい」



少し恥ずかしそうに、照れ笑いしながら、東京都立川市郊外の国立音楽大学の一室で先生は、レッスン最初の日におっしゃいました。



1981年4月、私を含む4名の教育音楽科の新入生は、初めてお会いした声楽の先生から、ピアノは苦手だから、伴奏はできないと、いきなり告白されてびっくりしてしまいました。



私たちが、驚いた様子を気にもしないで、先生は良く響くバリトンの甘い音色の声で言いました。



「レッスンの時、僕は伴奏できないから、君たちは、お互いに伴奏するのだよ、いいね?」

「はい。」



国立音楽大学の教育科の学生は、1年生の時だけ、4名のグループレッスンでした。



「よろしい、ではコンコーネ50番を1番から練習してきなさい。」



コンコーネ50番とは、オペラ作曲家、イタリア人のコンコーネが作曲した声楽のための練習曲集で、ピアノ伴奏付の50曲で構成され、曲番の数字が大きくなるに従って、歌も伴奏も難易度が増していきます。



コンコーネ50番の1番は、ハ長調4拍子、歌も伴奏も、単純なリズムとメロディーで作曲された素朴な音楽です。



そしてコンコーネ50番の1番が、私の弾き語り人生の最初の曲となりました。



一般的に、「弾き語り」とは、ポピュラー音楽に使われる言葉です。



日本では、1970年代にピークを迎えたフォークソングで、弾き語りをする歌手が目立ちました。



当時のフォークソング歌手が弾き語りに使った伴奏楽器は、主にギターです。



フォークソングの楽譜には、旋律と歌詞に、C(ドミソ)とかAm(ラドミ)と、アルファベットで表されたコード記号があるだけで、伴奏のための特別な楽譜は存在せず、大方の場合、歌手裁量で、一定のリズムパターンでコード進行させる単純な伴奏がつけられました。



しかし、クラシック音楽は違います。



たとえコンコーネのように、どんなに小さな練習曲にも、歌とは別に、独立した伴奏が作曲されており、弾き語りしようとすると、一筋縄ではいきません。



「自分が歌う曲の伴奏は自分で」という恩師の教えに従った私は、コンコーネ50番の1番以来、弾き語りのために、いつも特別に時間をとって練習しました。



「僕は弾き語りできない」ともおっしゃった恩師は、ウィーンに留学経験のあるドイツ歌曲を得意とし、2年に一度、独唱コンサートを開催されていた研究熱心なバリトン歌手の鈴木惇宏先生でした。



大学時代、鈴木先生の元で学んだ歌は、シューベルトやシューマンなど、ロマン派のドイツ歌曲です。



ロマン派のドイツ歌曲の特徴は、例えばシューベルトの「魔王」に代表されるように、ピアノが重要な働きをして、劇的な効果が得られるように作曲されています。



まるで独奏曲のようなピアノ伴奏をもつドイツ歌曲を、いきなり弾き語りしようとすると、一小節たりとも、前進できません。



私は、ショパンやベートーベンの独奏ピアノ曲と同じように、片手ずつ練習し、それから右手と歌、今度は左手と歌、というように段階を踏み、片手と歌が確実になってから、両手と歌を合体させるという、まわりくどい練習方法で、弾き語りを習得していきました。



もっと近道があるのかもしれませんが、不器用な私には、この練習方法が最も確実でした。



大学時代、弾き語りのために、かなりの労力を費やしましたが、人前で披露するためではなく、あくまでも、歌を自習するためでした。



なぜなら声楽の舞台発表は、歌い手と伴奏者は、それぞれ別の個人が受け持つことが、クラシック界の常識だからです。



しかし、1985年3月、音大を卒業し、同年4月より公立中学校の音楽の先生になった途端、つまりクラッシックの治外法権の世界で生きていくことになった私にとって、弾き語りの習慣は絶大な威力を発揮しました。



当時、学校現場では、校内暴力が吹き荒れた頃でしたが、先生(私)が楽しそうに、弾き語りをすると、やんちゃな中学生たちも、つられて歌ってくれました。



途中、イタリア留学をはさみ、10年間の学校教師時代、私は、中高生たちと声を合わせて数十曲の合唱曲や教科書の歌を弾き語りし、年月の割には、弾き語りの曲数は増えませんでした。



学校授業では、器楽や鑑賞や理論も指導しなければならないので、いくら楽しいからといって、歌ばかりは歌えないのです。



結婚を機に学校現場から離れて、家庭に入り16年間、人前で弾き語りの出番もなく、その曲数も増えないままでしたが、2015年1月、突然、夫と死別し、独身者となり、活動範囲が広がった私は、また曲数が劇的に増え始めました。



「カントアモーレ」は、毎月一回、岡山市内の教会で開催している合唱講座です。



2017年7月より「カントアモーレ」を始めて5年、先月64回目を迎えましたが、この講座は、一般的な合唱とは異なり、受講者からリクエストと講師(私)の推薦を合わせた数曲を、毎回新しく歌います。



私からの推薦曲はオペラが多いのですが、受講者の方は、シャンソン、映画音楽、フォークソングと実に多様で、私の弾き語りのレパートリーは、オールジャンルでにぎやかになってきました。



もうそろそろ、増やすだけでなく、ひとつひとつの曲を見直し、じっくりと取り組みたいと思っていたころ、またもや、新しいレパートリーを増やすチャンスがやってきました。



私が主催する小さなコンサート「みんなの発表会」に、歌やピアノだけでなく、バレエで参加してくださる方が増え、その方々の踊りのために、チャイコフスキーの「白鳥の湖」や「くるみ割人形」など、有名なバレエ曲を2年前から伴奏するようになったからです。



バレエ曲を伴奏するのは、オーケストラ曲をピアノ用に編曲したものなので、技術的に相当難しく体力が必要ですが、とてもやりがいがあります。



初めてバレエ曲を伴奏した2020年8月の「第2回みんなの発表会」では、本番に向けて、練習するのが精いっぱいでしたが、会を重ねるたびに、欲と余裕が出てきました。



来年1月には第5回目のみんなの発表会を迎えますが、それに先立ち、「弾き踊り」をしました。



つまり、まず、私がピアノ伴奏をしたものを録画し、それに合わせて私が踊ったものを録画し、パソコンで編集して多重録画するのです。



この「弾き踊り」の録画は、本番以上に、大変でしたが実に楽しい時間でした。



私に、こんなにも楽しい時間を与えてくださるきっかけを与えてくれた大学の恩師、鈴木惇宏先生は、4年前、2018年傘寿記念コンサートで、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」を全曲暗譜で、往年の甘い音色のバリトンで熱唱されました。



毎夜、弾き語りの練習をしていると、先生のことが思い出されます。



しばらく、お会いしていませんが、勉強家の先生のことですから、米寿コンサートの練習に余念がないかもしれません。



2022年11月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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