クーポラだより No.78~近藤朔風の訳詞とシューベルトの旋律~


Am Brunnen vor dem Thore(アン ブリューネル フォン デム トーレ)

Da steht ein Lindenbaum(ダ スティート アイン リンデンバウム)

Ich träumt' in seinem Schatten(イッヒ トロイムト イン ザイネン シャッテン)

So manchen süßen Traum.(ゾ マンヒェン ズッセン トロイム


このドイツ語は、シューベルトが晩年に作曲した歌曲集「冬の旅」の中の1曲「菩提樹」の冒頭部分です。



「冬の旅」は、失恋の痛手を負ったため、街を離れてさすらいの旅を続けている若者の孤独な心情を歌った24曲で構成され、第5曲の「菩提樹」は讃美歌のようにゆったりとしたテンポで、とても親しみやすい旋律です。



岡山では、県庁の屋上に設置されたミュージックサイレンが「菩提樹」を正午の合図として1957年(昭和32年3月)~2016年(平成28年8月)、57年6ヶ月、約20,1000回鳴らしてきたので、岡山県民には、特に馴染ある旋律です。



歌詞に使われている単語の意味は、


Thore(トーレ)=門、Brunnenn(ブレンネン)=泉、steht(スティート)=立っている、Lindennbaum(リンデンバウム)=菩提樹、Ich(イッヒ)=私、träumt(トロイムト)=夢見た、in seinem Schatten zainennmu(イン ザイネム シャッテン)=その木陰で、So manchen(ゾ マンヒェン)=何度も、süßen Traum(ズッセン トロイム)=甘い夢


直訳は、


「門の前の泉に菩提樹が立っている、私はその木陰で何度も甘い夢を見た」


と、奥ゆかしさを美徳とする日本人には、率直過ぎて、幼稚な詩に思えます。


しかし、日本でよく知られている訳詞、


「泉に添いて 茂る菩提樹 したいゆきては うまし夢見つ」


ならば、素直に心の中に落ちてきます。

この名訳詩は、近藤朔風によって作られました。


朔風は1880年(明治13年)に生まれ、1915年(大正4年)に35歳の短い生涯を閉じた訳詞家です。


朔風の本名は逸五郎、但馬国出石藩の儒学者の家系に生まれた人です。


朔風は、学生時代、西洋音楽に傾倒し、東京外国語学校(東京外国語大学の前身)でイタリア語を学び、日本初演のイタリアオペラ、グルック作曲「オルフェウス」の訳詞を担当し、その後は、ワーグナーを紹介する記事を寄稿したり、音楽雑誌の編集もしました。



27歳の頃から訳詞業に励み、彼が発表した西洋歌曲の訳詞は47編確認されています。



その中には「野ばら~童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)~」、「シューベルトの子守歌~ねむれ ねむれ 母の胸に~」など、菩提樹の他にも、日本人の愛唱歌となった歌がたくさんあります。



朔風の訳詞の特徴は、原詩のニュアンスを損なうことなく、日本語の文語体の格調高さと歌いやすさを融合させたことです。



シューベルトの旋律の素晴らしさは、もちろんのことですが、朔風の訳詞あればこそ、明治の日本人たちに「菩提樹」や「野ばら」や「子守歌」などが浸透し、現代まで歌い継がれてきたのだと思います。



そんな風に、私が思えるには、理由があります。



毎月一回の合唱講座「カント・アモーレ」についてはNo.76でも、ご紹介しましたが、今月開催した8月16日の会で、とても嬉しいことがありました。



この会を始めて4年目になりますが、指導者(私)抜きで、初めて受講者の方々だけで、アカペラ(無伴奏)の合唱が成功したのです。



テノール1名、ソプラノ1名メゾソプラノ1名の合唱でしたが、3名の美しい歌声が教会の高い天井に響き渡り、私は感動で目頭が熱くなりました。



3名の方々が歌ったのは、近藤朔風の訳詞の「菩提樹」でした。



朔風が選んだ日本語は、美しいだけではなく、発声上に無理がありません。



シューベルトの旋律に自然に乗ることができるように、意図されているので、3名の方々は、ハーモニーを響かせる余裕ができたのだと実感したのです。



カントアモーレでは毎回、2、3曲の新曲を歌います。



2017年7月の初回から通算で47回開催し、100曲以上は歌ってきたことになりますが、繰り返し歌う曲は絞られてきました。



洋もジャンルも関係なく、「菩提樹」のように素朴な旋律で、朔風の訳詞の言葉のように歌詞に共感できて、さらに発声しやすい曲です。



シューベルトが菩提樹を作曲して195年、朔風が訳詞をつけて114年、文明開化後、日本人が西洋音楽に目覚めて約150年、たくさんの歌が流行し廃れていきました。



恐らくこれからも、新しい歌がつぎつぎと生まれ流行し、多くは忘れ去られることでしょう。しかしシューベルト&朔風の「菩提樹」は日本人の愛唱歌として確実に歌い継がれていくことでしょう。



今秋、私は「おおえとしこ」の筆名で、物書きの仲間に入ります。



朔風のように100年以上の時を超えても、読み継がれる日本語を残したいものだと、カントアモーレ初の美しいハーモニーを聞きながら思いました。



2021年8月29日

大江利子


クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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