クーポラだよりNo.105~アソーリャック先生のひと言と大人バレエクラブ初舞台~


「トシコサン、アナタハ ゴバンガ デキマス 」


ある日のバレエレッスンで、ロシア人の先生が私に言いました。



その先生のお名前はスベトラーナ・アソーリャック、ウラル山脈の麓の都市ペルミのご出身で、彼女はそのペルミ国立オペラ・バレエ劇場で長年ソロを踊るバレリーナとして活躍された人です。



アソーリャック先生はバレリーナを引退されたのち、教える道に入られました。



日本と違い西洋のバレリーナは、引退後、必ずしもバレエの教職の道には進まないのですが、教えることがお好きで、勉強熱心なアソーリャック先生は、モスクワの舞踏大学に進学し、ペルミ国立バレエ学校の教授となり、プロフェッショナルな人材をたくさん育ててこられた女傑です。


アソーリャック先生の指導力は、ロシア国外にも鳴り響き、高い技術水準を求めることで定評のある中国のバレエ学校にも招聘されて教鞭をとられたご経験もお持ちです。



そんな素晴らしい指導者が、なぜ岡山で、一個人が創設したバレエスタジオにおられたのか不思議でしたが、私が通っていたそのバレエスタジオでは、一年のうちの半分は、アソーリャック先生がスタジオに常駐され、バレリーナを目指す小中高生たちのクラスを直接ご指導しておられたのです。



私は、32歳から習い始めて、熱心なだけが取り柄のバレエ愛好家で、本来ならば、バレリーナを目指す本気クラスの少女たちに、大人の私が混ざることは、迷惑だったことでしょう。



しかし、アソーリャック先生も、また岡山にバレエスタジオを創設した先生も非常に寛大で公平なお人柄だったので、大人の私にも門戸を開いてくれたのです。



アソーリャック先生のレッスンの特徴はなんといっても、毎回、違うアンシェヌマンで踊らせてくださることです。


アンシェヌマンとは、バレエ用語で、2種類以上のパ(ステップ)を組み合わせた一連の動きのことで、アンシェヌマンはフランス語で「鎖でつなぐこと」という意味ですが、文字通りに、パ(ステップ)とパ(ステップ)を滑らかにつなぐことによって一連の踊りになることを示します。



オリジナルなアンシェヌマンを考えだすことは、アンシェヌマンを「創作する」とは言わず、「振り付ける」といいます。



アソーリャック先生は、生徒の力量に合わせてアンシェヌマンを振り付ける名人でした。



一般的にバレエレッスンの流れは万国共通で、片手でバーをもって、半身ずつ筋肉を鍛えるバーレッスンとバー無しで、鏡の前で身体を動かすセンターレッスンの2つに分けられ、それぞれ、足の筋肉を鍛える目的別に共通の名前があります。




最初は、プリエと呼ばれる膝の屈伸、次はつま先を伸ばす目的のタンジュ、床から45度の高さまでつま先を上げるジュッテ、時計の針のように足を回すロンデ、軸足と動かす足を同時に曲げながらつま先を出すフォンジュ、膝を固定し、膝から下だけを時計の針のように回すロンデ・ジャン・アンレール、アイスピックで氷を砕くように鋭く素早く足を動かすプチバットマン、90度以上足をゆっくりとあげるデブロッペ、そして最後は90度以上、素早く高く足をあげるグランバットマンです。



おさらいすると、バーレッスンだけでも、①プリエ、②タンジュ、③ジュッテ、④ロンデ、⑤フォンジュ、⑥ロンデ・ジャン・アンレール、⑦プチバットマン、⑧デブロッペ、⑨グランバットマンと、最低でも9種類のアンシェヌマンが必要で、センターレッスンも同等にありますので、指導者は、レッスンのために、18種類以上のアンシェヌマンの振り付けを用意しなければならないのですが、この振り付けに、当然、指導者の主義やセンス、指導力が現れるのです。



筋肉を鍛えることばかりに重点を置きすぎて単調でつまらないもの、反対に、あまりも高度過ぎて、手も足も出なくて意気消沈してしまうもの、また、いくら素敵なアンシェヌマンでも、何か月も何年も同じで、ラジオ体操のようにマンネリズムなものなどです。



しかし、アソーリャック先生はいずれとも違います。



私は、年に半年、週に4回のアソーリャック先生のレッスンを15年、皆勤賞で受講したので、おおよそ1440回のアソーリャック先生のアンシェヌマンを踊ったことになりますが、記憶にある限り、同じ振り付けはありませんでした。



毎回、いつも新しくて、カッコ良くて楽しくて、少し難しいパがところどころあるけれど、もう少し頑張ればできるようになるかもしれない期待感を持たせてくれる振り付けで、いつもワクワクドキドキしながら、アソーリャック先生のレッスンを受け続けた15年間でした。



ところで、バレエの指導者の視点は、一般の公立学校とは異なり、自分が今目の前で指導している集団の中で最も上手な生徒だけに向けられます。



なぜなら、もしもプロフェッショナルなバレリーナを育てている集団に、公立学校の授業のように平均的な生徒にちょうどいい内容の振り付けを与え続けると、上手な生徒が伸びなくなり、結果として、その集団の技術レベルが落ちてしまうからです。



だから、大人で覚えが悪くて、バレリーナの卵たちのような柔軟な身体でもない私が、アソーリャック先生からレッスン中に注意を頂けるなんてあり得ないことなのです。



しかし、ある日のバーレッスンのタンジュの時に、アソーリャック先生はそっと私に近づいて、耳元ではっきりとおっしゃったのです。



「トシコサン、アナタハ ゴバンガ デキマス 」と。



これは私にとって青天の霹靂です。



なぜなら、5番とは、両足を重ねて立った時に両足のつま先と踵が左右どちらともくっついている状態で、この5番ポジションができないうちは、形だけはバレエのステップをなぞって自己満足で踊っても、周りから見れば不自然なバレエになってしまいます。



しかし、幼い頃からバレエの訓練を積んだ少女でも完璧な5番は難しいとされているポジションでもあるので、アソーリャック先生が「アナタハ ゴバンガ デキマス」とおっしゃったことに私は舞い上がってしまったのです。



「アソーリャック先生がそうおっしゃったのだから、私にだって希望があるのだ。もっともっと頑張れば、いつか私も完璧な5番に立てるようになって、プロのバレリーナのような滑らかな踊りができるようになるかもしれない」と。



以来、飽くことなく、私の5番への挑戦は続いていて、多分、一生の課題でしょう。



さて、11月25日に公民館で指導している大人バレエクラブの初舞台がありました。



出演してくれた生徒さんたちは大人バレエ歴1年足らずの人から20年以上の大ベテランまで、年齢は40代から70代までです。



私は彼らのために、独奏ヴァイオリンの名曲、コレッリ作曲のフォーリアに、ちょっと難しいけれど楽しくて素敵なアンシェヌマンを振り付けました。



彼らなら、踊れると信じて。



練習の時、「フォーリアの振り付けは楽しいけど、順番が覚えられない、難しい」と、嘆いていた彼らでしたが、本番の日、誰ひとり投げ出さず、堂々と全員フォーリアを踊ってくれました。



生徒の可能性を引き出すのは、楽しい課題と指導者が生徒を信頼することだなと、改めて感じた大人バレエ初舞台の日でした。



2023年11月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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