クーポラだより No.104~コチャエの思い出と興除公民館文化祭50周年~

♪コチャエ(備前太鼓歌)♪

備前岡山 西大寺町 大火事に 

今屋が火元で五十五軒 コチャ

今屋が火元で五十五軒 コチャエ コチャエ


約50年前、私が少女時代を過ごした岡山市中区の高島団地では毎年10月下旬から11月初旬に秋祭りが行われ、町内会の子供と大人たちは、このコチャエを歌いながら「だんじり」を曳いて近くの神社へ参拝していました。



「だんじり」とは、山車(だし)のことで、神輿(みこし)のことではありません。



神輿(みこし)は神様の乗り物なので、人が乗ることはできませんが、山車(だし)は、神様をもてなす乗り物なので、人が乗ってもよいのです。



山車(だし)は地方によって呼び名が異なり、例えば国の重要無形文化財に指定されている北九州市戸畑区のものは「山笠(やまがさ)」、同じく重要有形民俗文化財指定の岐阜県高山市のものは屋台(やたい)、その他祭車(さいしゃ)、山鉾(やまほこ)、笠(かさ)鉾(ほこ)、太鼓(たいこ)台(だい)などいろいろあります。



山車(だし)には、絵画や彫刻で豪華な装飾が施され、中には芸術的に非常に価値あるものも存在し、長野県小布施町には葛飾北斎が描いた7基の屋台が県の宝物として保存されています。



西日本では山車(だし)のことを「だんじり」と呼びます。



私が住んでいた高島団地の「だんじり」は、荷車に大太鼓を載せた簡素なものでした。



大太鼓は木でやぐらを組んだ天蓋付きの台座に載せられ、その天蓋には、しめ縄のお飾りがあり、やぐらを載せた荷車の荷台は、周囲をぐるりと紅白の垂れ幕で化粧囲みしてありました。



そして、その荷車に男性2人が乗り込み、勇ましく大太鼓を打ち鳴らし、子供たちは、その太鼓の音に合わせて「コチャエ、コチャエ」と歌いながら「だんじり」の引綱を曳きました。



引綱は、30人程の子供たちが握っても余裕がある、1本の白い太綱でした。



今思えば、どこでそんな長さの太綱を手に入れることができたのだろうと考えてしまうほどです。



引綱を曳く子供たちの傍らには、町内会の世話役の女性が鐘を鳴らしながら付いて歩きました。



「だんじり」に参加する人は、大人も子供も全員ねじり鉢巻きにお揃いの法被(はっぴ)姿でした。



法被は薄い木綿の鮮やかな水色で、半襟だけは黒繻子で、背中には朱色で大きく「祭り」と染め抜かれ、少女の私は、それを着て、「だんじり」を曳くことを毎秋とても楽しみにしていました。



高島団地の子供たちが水色の法被を着るチャンスは6回ありました。



つまり「だんじり」の曳き手の栄光を手にできるのは、小学生のうちだけなのです。



秋祭りが近くなると、高島団地の小学生がいる家庭には、その子供に合うサイズの法被が町内会から配られます。



小学1,2年生の時の私は、とびぬけて背が高い方でもなく、法被も普通の子供サイズで足りたので、使い古されて、くたびれた水色の法被がやってきました。



しかし3,4年生になると背もぐんぐんと伸び、子供用では寸足らずになったので、大きめの子供用が新調されて、まだ誰も手を通していない新品の法被が我が家にやってきました。



私はその新しい法被を着て「だんじり」曳くことをとても楽しみにしていましたが、秋祭りの頃、気温の寒暖の差が激しいことが引き金になって持病の喘息の発作をおこしてしまい、結局、1度もその法被に袖を通すことはありませんでした。



高島団地の「だんじり」曳きは、日が落ちてから始まります。



喘息でヒューヒューと鳴る喉を抱えながら、布団の中で耳を澄ませていると、遠くから「コチャエ、コチャエ~」のお囃子の音がだんだんと近づいて、そしてまた遠ざかっていきました。



「だんじり」は町内をゆっくりと練り歩いたあと、町外れの八幡宮神社へと参拝するのです。



八幡宮神社は、1615年に岡山城主池田忠雄が八幡村内の豊作と平安を祈念して造営され、その後、衰微しましたが、1676年に再び岡山城主 池田綱政公より格別の厚遇を受けて再興された歴史ある神社で、明治以後も2度の大火で社殿を全焼しましたが氏子の協力で再建されています。



八幡宮神社の秋祭りには、広い境内に、ところせましと屋台が立ち並びました。



子供たちは、お祭りだからと特別にもらったこずかいでリンゴ飴や綿飴を買い、鉄砲の的当て、ヤマガラのおみくじ引き、ヨーヨー釣り、など屋台巡りをして楽しみました。



中2の時に引っ越ししたので、高島団地を離れて46年目の秋を迎えますが、ふと「だんじり」のことを思い出した私は、今もあの風習は続いているのだろかと、八幡宮神社に問い合わせてみました。



すると、46年前と同じように、水色の法被を着た町内の子供たちがコチャエを歌いながら「だんじり」曳いて秋祭りの日に参拝するとのことでした。



ただ一つ違ったのは、46年前は、「だんじり」で参拝後、子供たちへのご褒美は袋詰めの駄菓子でしたが、現在は大人には御神酒、子供たちにはカルピスが振る舞われるそうです。



昭和何年から入居が始まったのか正確には、わかりませんが、少なくとも私の小学生時代から換算してみても、高島団地の「だんじり」の伝統は50年以上になるわけで、きっと大勢の人たちの協力や熱意によって、ここまで続いてきたのだと思います。



実は、私がこの「だんじり」を思い出したきっかけは、来月末、隣町の興除公民館のお祭、すなわち文化祭で大人バレエクラブの生徒さんたちと初めての舞台発表をするからです。



興除公民館では毎年秋に文化祭を開催し、クラブ講座の発表を公民館内で行うのが通例ですが、今年は50周年を記念し、館外に場を借りて、立派な舞台発表の好機を作ってくれたのです。



興除公民館大人バレエクラブは、今年1月から開講したばかりですが、幸運にも初発表の場が、館内の実技室ではなく館外の舞台となるわけです。



舞台は興除中学校の体育館舞台で8m×5mのスペースです。



バレエを踊るには、少々狭いのですが、私はその広さに合わせた振り付けを作り、素敵なお揃いの衣装をレンタルすることにしました。



文化祭本番当日、私たちは水色の法被を着た小学生の様に、無邪気に踊るだけです。



しかしこの文化祭は、50年以上も続く八幡宮神社の「だんじり」の様に、たくさんの人たちの協力と熱意に支えられて開催されることに疑う余地はありません。



支えてくれる人たちに感謝を忘れないで、興除公民館大人バレエクラブ初舞台を成功させたいです。

2023年10月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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