クーポラだより No.101~日本のオペラ考察~


「利子は、どうしてオペラを歌うんか?演歌を歌やぁーええのに。


演歌の方があたりゃー、もうかるのに。オペラじゃあ、もうからんじゃろ!」



オペラの発声を極めようと、イタリア留学を控えた30年前、両親の口から出た質問に、私は絶句してしまいました。



私の両親は、夫の父のように、ヴァイオリン製作者だったわけでもなく、クラッシック音楽に造詣が深いわけでもありません。



けれども、娘の私が音大に進学することに反対せず、音大卒業後も、中学校の教員をしながら熱心に勉強を続ける私を見守ってきた人たちです。



そんなふたりから「なぜ、オペラを歌うのか?演歌を歌ったら良いのに。演歌の方が成功したら、お金を稼げるのに。オペラではお金を稼げないだろうに。」と、言われた私はショックでした。



「オペラは儲からない、クラッシックでは食べていけない、好きなことで生計をたてるのは困難だ。」



よく耳にする一般論ですが、自分の良き理解者だと信じて疑わなかった両親から、その俗っぽくて嫌味な常識を、不意に浴びせられて、私は言葉を失ってしまったのです。



確かに、日本では、一般にオペラに対する人気も認知度も低く、それを裏付けるかのように、テレビ番組で取り上げる音楽は、アイドルや演歌歌手たちが歌う流行歌が中心です。



ただし、「オーケストラがやってきた!(1972年~1983年放映)」、「題名のない音楽会(1964年~)」など、週に1度、わずか30分ですが、クラシック音楽の番組もあります。



しかし、クラシック音楽という、くくりには、オーケストラの響きに浸る管弦楽曲、ピアノやヴァイオリンの超絶技巧に酔う独奏曲、アンサンブルを楽しむ室内楽など、いろいろな種類があり、オペラもその中のたった1つに過ぎません。



したがって、たとえ毎週、クラシック音楽の民放番組が放映されていても、そこにオペラの順番がやってくるのは稀で、オペラがなかなか浸透しないのも当然でしょう。



またNHKでは、「芸術劇場」や「クラシック・ロイヤルシート」という名称で、舞台芸術を紹介する長時間番組があり、毎月1回、海外で上演されたオペラをノーカットで放映していました。しかし、それでもまだ、演歌のようには、広まりません。



それにしても、どうして、オペラが日本になかなか広まらないのでしょう。



その理由の第一に考えられるのは、オペラは、歌手が歌いながら演技をする、歌芝居であり、その芝居の台本は、西洋の小説や神話がもとで、日本人の私たちがその西洋風の歌芝居を楽しむには、その台本に対して予備知識が乏しいからだと思うのです。



例えば、「乾杯の歌」で有名な、ヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」の台本は、フランスの小説家デュマが1848年に発表した長編小説が元です。



上演時間は2時間40分、全3幕のオペラの大まかなストーリーは以下です。



一幕、肺病を患っていた、パリの高級娼婦ヴィオレッタの館で、久しぶりに豪華なパーティーが開かれ、そこに新顔で、真面目な青年アルフレードがやってきます。彼はヴィオレッタに、娼婦としてではなく、ひとりの女性として本気で彼女に恋をしていることを告白します。



二幕、アルフレ-ドの求愛に応えたヴィオレッタは、高級娼婦の生活を捨て、自分の財産をすべて出して、田舎に家を買い、ふたりで幸せに暮らしていました。しかしアルフレードの父が突然現れて、ヴィオレッタに別れを迫ります。理由は、ヴィオレッタの存在が、良家出身のアルフレードの将来と妹の結婚に差し障るからです。泣く泣く承知したヴィオレッタは、アルフレードに嫌われるような手紙を書き、再び元の生活に戻ります。



三幕、肺病が悪化し、死の床についていたヴィオレッタはすべてを諦め、もはや独り寂しく天国へ登るのみと覚悟を決めていたところへ、アルフレードがやってきます。父から真実を知らされたアルフレードは、再びいっしょに暮らして病気を治そうと彼女を励まします。しかし、時すでに遅く、ヴィオレッタは息を引き取り、幕となります。



いかがでしょう?「椿姫」のヴィオレッタは、森鷗外の「舞姫」のエリスのように、身分違いの恋に翻弄された哀しい女で、台本を知ってしまえば、日本の観客も感情移入しやすい物語です。



そして「椿姫」を作曲したヴェルディの音楽は、民謡のように素朴でわかりやすく、ヴィオレッタの独唱は演歌のように、男女の情念をテーマとしており、切なく、艶っぽい旋律です。



オペラの要素を一つ一つ分析してみれば、娯楽性が高く、クラシック音楽のくくりの中では、最も大衆受けしやすいジャンルと言えるでしょう。



それでも、オペラの人気は私がイタリア留学した30年前も、今もあまり変化がないように思います。



いったい何が障害なのでしょう?



それは、海外の歌手たちの歌い方、つまり、楽器のように訓練された高い声で、正確な音程とリズムを厳重に守り、無駄なヴィブラートがない発声法に、日本人は戸惑い、違和感を覚えるのではないか、思うからです。



日本に西洋音楽が入ってきたのは、今から164年前です。



1879年、明治政府によって学制が布告され、文部省所属の音楽教育機関「音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)が設立し、その長の伊澤修二が、アメリカから音楽教育者メイソン(ピアノとバイエルを日本に紹介した人)を招聘したときから、日本に西洋音楽が入ってきました。



伊澤修二とは、幕末、信濃国高遠藩の藩士の息子として生まれ、江戸に出府して、ジョン万次郎や外国人宣教師に英語を習い、当時の日本人としては、最先端の西洋文化を身につけた人でした。



伊沢は音楽取調掛の長に任ぜられ、調査のためにアメリカの学校に留学し、優秀な成績をおさめましたが西洋の歌を、歌うことだけは苦労したので、メイソンに個人指導してもらったのでした。



メイソンが西洋音楽を導入する以前の日本には、雅楽、琵琶楽(平家琵琶)、能楽、歌舞伎など五線譜をもたない音楽でした。



それらは、おおよその音程やリズムはあるものの、同じ作品でも、奏者によって異なります。



そして、オペラのように特別に訓練された高い声ではなく、地声を使って、感情移入のために音程とリズムを揺らします。



つまり、日本の伝統音楽の歌い方は、演歌に共通するものであり、日本人の心を揺さぶる歌い方をすれば、成功するとしたら、「オペラでなくて、演歌を歌えばいいのに」と言った私の両親も、あながち、間違いではないでしょう。



けれども、私は訓練された均一な音色の声で明確な音程とリズムで歌うオペラが大好きだし、その歌い方がとても素敵だと思うのです。



演歌の良さも認めますが、私は、オペラの良さも日本人に知って欲しいので、もうけは度外視で、これからもその普及に努めます。

2023年7月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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