クーポラだより No.100~私とオートバイ~


50代最後の月、先月5月、私はSSTR(エス・エス・ティー・アール)というオートバイ競技に出走し、5回目の完走を果たしてきました。



SSTRの正式名称はSunrise Sunset Touring Rally(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)で、毎年5月下旬に開催される独創的なルールの競技です。



この競技は、一般的なモータースポーツのように、タイムアタックをして、ゴールまでのスピードを競うものではありません。



「太陽を追いかけろ!」をテーマに、日本列島の太平洋側(瀬戸内海も可)の任意の海辺から日の出と同時にスタートし、同日の日没までに日本海の千里浜海岸にゴールするという自己完結型の競技で、無事にゴールできた競技者は、皆等しく勝利者なのです。



ラリーへの出走は、二輪免許を有し、安全走行できる人なら老若男女誰でも応募可能で、また競技車両は、50㏄の原付でも1000㏄の大型でも特に規定はありません。



そして、スタートからゴールまでのルートも、競技者の自由で、県道や国道だけでも、高速道路ばかりを選択しても大丈夫です。



ただし、ラリーの途中で、道の駅や高速道路のサービスエリアに立ち寄って、その回数を点数に換算し、その点数合計が基準点以上を満たし、なおかつ、その点数の中に、主催者側が指定した道の駅も含まれていないと、いくら日没までに千里浜海岸にゴールできたとしても完走とは認められません。



今回の完走基準は、15点以上です。



高速道路のサービスエリアは1点、無指定の道の駅は2点、指定道の駅は3点です。



最少でも5,6回以上は、走行を中断し、点数を加算しながらゴールを目指さなければならないわけです。



2023年5月21日、私は、愛車のスズキVolty(ボルティー)250ccにまたがり、早朝4時半、自宅を出発し、新岡山港を目指しました。



新岡山港は、瀬戸内海の児島湾沿いの小さな港で、小豆島行きのフェリーの発着港でもあり、堤防沿いに「市民の森」と呼ばれる公園が整備され、その公園からの日の出がとても素晴らしいのです。



日の出とゼッケン番号を付けたオートバイの写真を撮影することが、スタート地点の課題の1つなので、海に面した遊歩道にボルティーを駐車し、夜明けを待ちました。



その日は雲もなく、暦の時刻通り4時58分、バラ色に染まり始めた水平線から、太陽が顔を出してきました。



太陽が顔を見せ始めると、暗幕がかかったような空にバラ色がどんどん広がって、夜の闇は、周りの山々に吸い込まれるように消えていきます。



すると、さきほどまで、プラネタリウムのような漆黒の天空は明るい乳白色になって、小鳥の嬉しそうなさえずりが響き渡ります。



夜と朝が交代するこの美しいひとときに立会うのは、今年で5回目ですが、いつも感動を覚えます。



この素晴らしい自然現象の観客になれただけでも、出走を決めて良かった!と思える瞬間です。



東の空に広がるバラ色と真っ赤な大輪のダリヤのような太陽に見惚れていると、私の立っている足元から、泳いでいけそうなほど近くに浮かぶ小さな島から、サギたちが飛び立ちます。



この島は、高島と呼ばれ、初代天皇と伝わる神武天皇が、約2500年以上前に日向(宮崎県)を出発し、豊後水道を通り船で東へ進み大和(奈良県)へ向かう途中、「吉備国 高島宮」という行宮(あんぐう:一時的な宮殿)を置き、数年間(『古事記』では8年、『日本書紀』では3年)滞在した島なのではないかと、伝えられています。



神武天皇の高島の候補地は、岡山県には4つあり、人が生活をしている島もありますが、児島湾の高島は無人島で、鳥たちの楽園になっています。



朝焼けの空に向かって、サギやトンビたちが一斉に飛び立っていく幻想的な光景を眺めていると、私には、目の前のこの島が、古事記の高島に思えてなりません。



さあ、日の出と私のオートバイを撮影したので、いよいよ千里浜海岸目指して出発です。



今日の千里浜海岸日没は、18時58分、新岡山港から千里浜海岸まで、約500キロ、机上で計算するならば、時速50キロで10時間走行すればゴールなのですが、実際はそんなに簡単ではありません。



風圧を受けながらのオートバイ走行は、体力を消耗させ、それに比例し集中力が低下します。



晴天ならば、気温が上がり、アスファルトの照り返しの直撃と、オートバイのエンジンから吹き上がる熱とで疲労が倍増します。



雨ならば、寒いし、視界がさえぎられる上に滑りやすい路面は恐怖以外の何者でもありません。



ゴールまで何が起きるか、予想不能ですが、とにかく気を引き締めてのスタートです。



多めに休憩をとりながら、高速道路中心の最短コースで、私はゴールを目指しました。



新岡山港から東へ向かって兵庫県に入り姫路まで、姫路からは進路を北にとって舞鶴経由で福井県へ、日本海側に出たら、若狭湾に沿って小浜、若狭、敦賀を通過し、越前に入りました。



越前では、高速道路から一旦おりて、指定道の駅「パークイン丹生ヶ丘」に立ち寄るために、越前市内を迷走しました。



自力では、たどり着けそうもないので、コンビニに駐車していたドライバーや、商店の店員さんに道を尋ねたりして、ようやく、「パークイン丹生ヶ丘」にたどり着き、すこし気が楽になりました。



時刻は13時、千里浜海岸日没まであと6時間58分、残りの距離は140キロ、このまま順調に走れば、5冠目の完走が視野に入ってきたからです。



心に余裕ができた私は、田園景色を楽しみながら、北陸自動車道のインター目指して、農道をのんびり走っていました。すると、田んぼの中に、一羽の大型の白い鳥に目が留まりました。



野鳥観察が好きな私は、身近な里山の野鳥の特徴は図鑑で覚えています。



嘴が真っ黒で、目が赤く、翼の端っこだけが黒い大型の鳥は、サギでもなければ、鶴でもありません。



「あれは・・・、コウノトリだ!」



ヘルメットを被ったまま、声をあげた私は、急いでオートバイを脇にとめて、国の特別天然記念物のコウノトリを撮影しました。



そもそも、4年前、SSTRに初出場したきっかけは、ストーク(コウノトリ)と命名された人力飛行機に使われた和紙の取材のためでした。



初出場の時、自分で計画した和紙の里を取材しながら、完走を果たせたことが、執筆への原動力となり、人力飛行機ストークの小説を完成させることができました。



オートバイに乗っていると、道に迷うし、雨や風には翻弄され、怖い目にも遭遇しますが、苦労したぶんだけ、出会った人や景色への感動は大きく、それが私の心にしっかりと刻まれて、やがてそれらは発酵熟成し、文字に変わり、文章に繋がっていくようです。



今月26日が誕生日の私は、還暦を迎えました。



夫の遺したオートバイに乗りたい一心で8年前に免許をとりましたが、いつの間にかその魅力にすっかりはまり、オペラやバレエやピアノと同じようにライフワークの1つになっています。



執筆のためにも、私自身の楽しみのためにも、これからも安全運転でオートバイに乗り続け、たくさんの感動に出会いたいです。

2023年6月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

0コメント

  • 1000 / 1000