クーポラだより No.99~初めての創作ダンスと大人バレエの振り付け~


1977年、6月のある午後、中学2年生の私は、自分で振り付けた創作ダンスを、見知らぬ大勢の体育の先生方の前で披露していました。



当時、私が通っていた岡山市立操山中学校は、全校生徒1200人を超えるマンモス校で、教職員は50人以上、体育の先生だけでも4~5名はおられたと思います。



私が指導を受けていた体育の女性の先生は、小柄な人でしたが姿勢がとても良くて、颯爽と歩くうしろ姿だけで、周囲を圧倒するような雰囲気をお持ちのベテラン教諭で、先生仲間からも一目置かれる存在でした。



そんな近寄り難い体育の先生から、ある日の授業後、私は呼び止められました。



「山本さん、創作ダンスの研究発表会があるから、踊ってみない?」



突然のスカウトに私はびっくりしました。



今でこそ、大人バレエの先生をしていますが、46年前の私は、ダンスに必須の柔軟性は皆無で、喘息持ちだったため猫背で姿勢は悪く、踊りの経験はフォークダンスのオクラホマミキサーかマイムマイム、あとは、盆踊りの備前太鼓唄(こちゃえ)くらいです。



背ばかりがひょろひょろと高く、見た目も身体条件も、ダンスには不向きという自覚があったのに、なぜか私はためらうことなく、「はい」と答えました。



先生は私の他に、もうひとり、私と仲が良かった同級生の女生徒にも声をかけていました。



翌日から私と同級生は、昼休み体育館に集まって、先生のアドバイスを受けながら、創作ダンスの練習をすることになりました。



創作ダンスには、テーマが必要です。



いろいろとアイデアを出してみましたが、梅雨の季節なので「雨」を表現することにしました。



しとしと静かに降る雨や、滝のようにざーざー降る雨、雷が鳴ったあと、雨が急に上がってパッと晴れ間が広がる様子も表現することにしました。



ダンスに必要なステップは、ソテ(ジャンプ)やアラベスク(片足で立ち、もう一方の足を上げるバランスポーズ)、パ・ド・ブレ(両足をクロスさせながら、つま先立ちで、進むこと)など、基本的なバレエの動きを先生が教えてくださったので、自分たちで創った動きに、それらを組み合わせて、いろいろな雨をダンスにしていきました。



音楽は使わず、カウントに合わせて、踊ることとし、動きが大きく変化する時のきっかけは、先生が打ち鳴らすタンバリンが合図でした。



練習期間は、約1か月、昼休みは20分なので、合計480分=8時間足らずで、研究発表会の本番の日となりました。



研究発表会の会場は、母校、操山中学校の体育館でした。



本番の衣装は、学校規定の夏の体操着、ブルマに丸首半袖シャツに体育館シューズという、飾り気ゼロのいでたちで、私と同級生は、自分たちで作った「雨」の創作ダンスを踊りました。



どんな振り付けを創ったか、断片的な記憶しか残っていませんが、2~3分のダンスを踊り終えた後、研究会に集まった近隣の中学校の体育の先生方から沸き起こった拍手と、いつもは恐くて近寄り難い私たちの先生が、とても柔和な表情で「良かったよ。」とねぎらいの言葉をかけてくださったことが、印象的で、うれしかったことを覚えています。



しかし、創作ダンスの本番翌月、中学2年の夏休み直前に、私の家族は岡山市から赤磐郡(現在は赤磐市)へ引っ越しすることになりました。



私も幼稚園からの幼なじみが大勢通っていた懐かしい操山中学校から、まったく知らない土地の赤磐郡の中学校へ転校となり、その体育の先生とも、ご縁が切れて、芽生えかけていた創作ダンスへの興味も、消えてしまいました。



転校した中学校では、友人もできずに、私は孤独でした。



制服も操山中学校が恋しくて、転校先でもそれを着続けて、周囲と距離を取り、孤独を自ら選んでいました。



しかし、ピアノ科のある高校受験を目指して、毎日何時間もお稽古に励んでいたので、孤独が好都合でもあったのです。



それにしても、なぜ、操山中学のあの体育の先生は、指導していた大勢の女生徒から、私に白羽の矢を立てたのでしょう?



長い間不思議でしたが、最近になって、自分なりに答えが見えてきました。



今年1月より、近所の公民館で大人バレエ講座の開設が認められ、私は指導者として、毎月2回のレッスンを担当することになりました。



そして受講者のために振り付けを、考えることが日課となりましたが、その作業が寝食を忘れるほどに楽しいのです。



バレエは、白鳥の湖やくるみ割人形など、一般に舞台でプロが踊っている振り付けは、身体的な条件が整わない限り、何年お稽古を積んでも、不可能であり、かつ危険です。



職業的なプロバレリーナを養成する学校の指導者は、バレエ向きの身体能力を備えた子供だけを選別し、厳格なレッスンを積み重ねて、舞台人に育てあげます。



しかし、大人バレエの場合、指導者は、生徒の身体条件が整っていなくても、彼らの踊りたいという欲求を満たし、バレエへの情熱の火を絶やさないようにしなければなりません。



技術的には平易であっても、踊って楽しい振り付けがたくさん必要なのです。



ピアノならば、人気の高いクラッシックや映画音楽、アニメ、歌謡曲など、平易な編曲がいくらでも出版されているので、指導者がレッスンのためにいちいち作曲しなくても、事は足るのですが、大人バレエは、すべてが指導者の肩にかかっています。



私は、どんなにバレエ経験が浅く、身体の条件が未熟な人でも、楽しみながら踊れるようにと、フォークソングのステップやフラメンコなど、民族舞踊のステップをたくさん組み入れながら振り付けます。



そして、この作業をしていると46年前に初体験した創作ダンスと、あの体育の先生が思い出されます。



あの先生は、私の振り付けに対する情熱と興味を予感されて、白羽の矢を立ててくださったのかもしれません。



2023年5月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

0コメント

  • 1000 / 1000