クーポラだより No.96~カヴァッリ先生との問答とコンコーネの録音~


イタリアで発達したオペラを歌うための発声法「ベルカント唱法」の練習をするには、場所の苦労がつきものです。



ベルカント唱法によって発せられたオペラ歌手の声は、たった独りでも、オーケストラ伴奏の大音量を凌駕し、舞台からいちばん離れた天井桟敷席まで、マイク無しで通ります。



そんな名人芸のような唱法のための発声練習は、オペラに理解のない人にとっては迷惑極まりないものです。



自宅なら安心して発声練習できますが、一歩外に出ると、たちまち練習の場所に不自由します。



29年前、カヴァッリ先生の魔法のようなレッスンによって、ベルカント唱法で歌えるようになってきた私は、自分の声の取り扱いとメンテナンスについて、いろいろな疑問がわきました。



どんなに些細なことでも、私は、疑問がわくたびに先生に質問してみました。



「Sta viaggiando, Se Lei non trovava il luogo per vocalizzio, Come sta faceva ?」

スタ・ビアッジャンド、セ・レイ・ノン・トロヴァーバ・イル・ルオーゴ・ペル・ボカリッジョ、コメ・スタ・ファチェーヴァ?

旅行中など、もしも発声練習の場所が見つからなかった時、先生はどうされていたのですか?



「Cantavo nel’armadio del’albergo pineno di cappotto.」

カンターボ・ネル・アルマーディオ・デラルベルゴ・ピエーノ・ディ・カポット

(ホテルの部屋の洋服タンスの中に外套をいっぱいかけて、その中で歌ったのよ。)



本拠地ミラノ・スカラ座だけでなく、ナポリのサン・カルロ劇場、パリのオペラ座、ロンドンのコベントガーデン劇場、ブエノスアイレスのコロン座など、世界中のオペラハウスで歌ってこられた先生が、旅先で発声練習の場所にご不自由された経験もおありでしょう。



そういう時は、どうしておられたのだろうと、素朴な疑問が湧いたのでお尋ねすると、先生は愉快そうに即答されたのです。



苦労や困難を、楽しみながら解決できる才もプリマドンナには必須ということでしょうか。



「Anche Toshiko, Se tu non trovi il luogo tenti di cantare nel’armadio」

アンケ・トシーコ・セ・トゥ・ノン・トローヴィ・イル・ルオーゴ・テンティ・ディ・カンターレ・ネラルマーディオ

(利子も、もし場所が見つからなかったら、タンスの中で歌ってみて)



大きな瞳を輝かせながら、実に魅力的な笑顔で、どんな質問にも先生は明快に答えたものです。



この瞳と笑顔だけで、先生は、さぞやたくさんのオペラファンを虜にしたことでしょう。



ミラノ郊外の高層マンションの一室の先生のレッスン室で、思いっきり声を出したあとは、脳が活性化するらしく、つぎつぎと疑問がわいてきました。



「Se Prendo il raffredore, e’ meglio di riposare di cantare ?」

セ・プレンド・イル・ラフレッドーレ・メーリィオ・ディ・リポザーレ・カンターレ

(もし、風邪をひいたら、歌うことを休む方が良いですか?)



「Se hai la tosse, non cantare, ma se ha soltanto la febbre, non riposare. Pero hai la febbre piu di garadi 37.5, non cantare.

セ・アイ・ラ・トッセ、ノン・カンターレ、マ・セ・ア・ソルタント・ラ・フェッブレ、ノン・リポザーレ・ペロ・アイ・ラ・フェッブレ・ピュウ・ディ・グラーディ37.5、ノン・カンターレ

(もし、咳が出るなら、歌ってはいけません、しかし、熱だけなら、休んではいけません、ただし、37.5度以上の熱があるなら、歌ってはいけません。



以来、体調不良時の発声練習を休むかどうかは、37.5度の境界線を基準にしています。



「Se non canta soltanto tre mesi, perdi la tutta di tecnica di belcanto 」

セ・ノン・カンタ・ソルタント・トゥレ・メージ、ペルディ・ラ・トゥッタ・ディ・テクニカ・ディ・ベルカント

もし、たった3か月間、歌わなかったら、それだけで、すべてのベルカント唱法のテクニックを失いますよ。



質問はしていないけれど、先生は付け加えました。



本物のプリマドンナだった先生の言葉は、私にとって絶対です。



毎日、発声練習することは、ベルカント唱法を維持するには必須なので、喉を刺激する食べ物や、乾燥した空気、冷気にも注意して生活しています。



おかげさまで、風邪で寝込むことはなくなりました。



ある時、私はいちばん、恐ろしい質問をしてみました。



「La mia voce ha il talento per essere una cantante opera lirica ?」

ラ・ミア・ボーチェ・ア・イル・タレント、ペル・エッセレ・ウナ・カンタンテ・オペラ・リリカ?

私の声はオペラ歌手になれる才能があるのでしょうか?



この質問の時だけは、先生のお顔から笑顔は消えて、真剣な表情になりました。



一瞬、じっと私を見つめて、先生ははっきりとおっしゃったのです。



「Toshiko, nella tua voce c’e la talento. Pero aprire la carriera di cantante e’ un’altra cosa 」

トシコ・ネッラ・トゥア・ボーチェ・チェ・ラ・タレント、ペロ・アプリィーレ・ラ・カリエラ・ディ・カンタンテ・エ・ウナルトラ・コーザ

利子あなたの声には才能があります。けれども、歌手としてキャリアが開くことは別の問題なのです。



先生は、それ以上、多くを語られませんでしたが、私は悟りました。



日本人である私が、ましてや、もう30歳になった私が、先生のようにプロのオペラ歌手として劇場で歌うチャンスは、非常に困難だということを。



一年間のイタリア給費生期間も、ほぼ終わりに近づいた頃でした。



日本に帰国しても、オペラに出演できるチャンスは、ほぼ皆無でしたが、一度だけ、広島でオーディションに合格し、創作オペラの端役でオペラに出演できたことがありました。



たった一度きりですが、たとえ端役でもオペラ出演できたことで、何か吹っ切れた私は、以降、自分の声の鍛錬に専念しました。



「Deve diventare padorona di tua voce」

デーベ・ディベンターレ・パドローナ・ディ・トゥワ・ヴォーチェ

あなたは、自分の声の主人にならなければなりませんよ。



たびたび、先生が口にされた言葉です。



つまり、「自分の声を自由自在にコントロールできるようになりなさい。」ということです。



この言葉のようになれるにはどうしたらよいものか、何をどう歌ったらそうなれるのか、独りで考えて、得た結論は、声楽を習い始めた時、最初に歌ったコンコーネ50番に戻ることでした。



音大に合格して以来、歌うことがなかった古い声楽教則本のコンコーネ50番を取り出して、私は1番から順番にベルカント唱法でやり直していきました。



50番が終わったら、25番、15番、と100曲のコンコーネが自在に歌えるようになったとき、もう40歳になっていましたが、私はやっと自分の声の主人になった手ごたえを感じました。



あれから、20年過ぎました。



自分の声にまだ衰えは感じませんが、この声の輝きがあせないうちに、私は自分の声を使って、カバリエ先生の教えを誰かに伝えたいと思うようになり、コンコーネの動画撮影を始めました。



今、30曲、撮り終えたところですが、還暦がやってくる3か月後までに、コンコーネ100曲、すべて撮り終えることを目標に日夜頑張っているところです。



2023年2月28日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

0コメント

  • 1000 / 1000