クーポラだよりNo.95~映画イースター・パレードとバレエのピアノ伴奏~
1948年に公開されたイースター・パレードは、劇場ダンサーの恋愛を描いたアメリカのミュージカル映画です。
ソフトグレーのシングルスーツの下には真っ白なベスト、襟元と袖口から覗くシャツは薄桃色、淡い三つ色を、シルクハットとネクタイの黒でアクセントを効かせ、白黒コンビのエナメルシューズの足取りも軽やかに、ダンサーのドン・ヒューズが、ニューヨークの高級おもちゃ店に入ってきました。
ドンは、ブロードウェーの人気ダンサーでした。
彼は、ダンスのパートナーでもあり、恋人でもある、ナーディーンのため、ショーウィンドウで見つけた可愛いウサギのぬいぐるみをイースターのプレゼントにしようと、店内に入ってきたのです。
イースターとは、十字架にかけられて死んだキリストが3日目に復活したことを祝う宗教行事ですが、国や地域によって、さまざまな伝統菓子や風習があります。
例えば、イタリアでは、復活を象徴する卵をチョコレートでかたどったお菓子「ウォーバ・ディ・パスクワ=Uova di Pasqua」があります。チョコレートの殻の中身には、日本のガチャガチャのように、プラスチックの恐竜や飛行機、指輪など子供向けのおもちゃが入っています。
また、愛と平和の象徴の鳩をかたどった、「コロンバ・ディ・パスクワーレ=Colomba di Pascuale」は、クリスマスに食べられるパネットーネのように、卵やバターや砂糖がたっぷりと入る菓子パンです。
イースターの日は、クリスマスのように固定ではなく、暦によって毎年変わります。
春分の後の、最初の満月の次の日曜日、冬が去り、春が訪れ、大地は芽吹き、鳥や家畜や動物たちが新しい命を宿し、今年の豊穣を願う季節と重なるイースターには、多産が習性のウサギも豊穣の象徴としてかつぎだされます。
ドンは、ナーディーンに、ダンスだけではなく、人生のパートナーにもなってもらおうとイースターのお祝いに、ウサギのぬいぐるみを買ったのでした。
もちろん、ぬいぐるみだけではなく、純白の羽根飾りをあしらった素敵な帽子も、彼女のために用意していました。
大都会ニューヨークのイースター名物は、お菓子ではなく、帽子なのです。
イースター当日、ティファニーやシャネルなどの高級店が立ち並ぶニューヨーク5番街には、花や羽で飾りつけた豪華な帽子をかぶり、お洒落をした御婦人方であふれ、まるでファッションショーのような光景です。
その5番街の優雅な光景は毎年恒例で「イースター・パレード」と呼ばれていました。
イースター・パレードには、一般人だけでなく、有名人やスターも混じっているので、雑誌カメラマンたちは、彼らのファッションを目当てに集まります。
ドンは、自分がプレゼントした帽子をかぶったナーディーンとイースター・パレードへ出かけるつもりでした。
けれども、彼女の態度は冷ややかで、コンビを解消し、独り立ちすると、突然ドンに告げたのです。
名ダンサーのドンとコンビで踊り、ショーダンサーの経験を積ねたナーディーンは、条件がもっと上のソロダンサー契約を勝手に結んでいました。
そして、彼女の結婚観も、浮き沈みの激しい業界の年上ダンサーのドンよりも、若い友人で資産家の跡取り息子のジョナサンが好みだったのです。
仕事でもプライベートでも、打算的なナーディーンに、ドンは愛想をつかしました。
イースターの前日の夜、やけ酒を飲んでいた彼は、酒場のショータイムで、たまたま目にした踊り子のハナー・ブラウンを新しいパートナーとして雇うことにしました。
ドンは、どんなに素人でも、自分が仕込めば、一流ダンサーにできることを、ナーディーンに見せつけたくて、わざと無名のハナーを選んだのです。
しかし、ハナーはダンスも歌も、隠れた才能の持ち主で、ドンとハナーの新コンビは大当たりし、みるみるうちにスターとなったふたりは、お互いに愛し合っていることも気がついて、一年後のイースター・パレードを幸せいっぱいで迎えるのでした。
もちろん、ナーディーンも、ソロダンサーとして大成功し、ハッピーエンドで映画はおわります。
この「イースター・パレード」の見どころは、ドンを演じる、フレッド・アステアの完璧なタップ・ダンス、ハナーを演じるジュディ・ガーランドの圧倒的な歌唱力です。
104分しかない映画の中で、ダンスは17曲、見事なダンスシーンばかりですが、白眉なのは、おもちゃ屋でドンがウサギを買うシーン「ドラムに夢中(Drum Crazy)」です。
小さな男の子が手放そうとしないウサギのぬいぐるみを、ドンも気に入ったので、男の子の興味を太鼓に移らせようと、「僕は太鼓に夢中!」と歌いながらアステアはアクロバティックなタップダンスをします。
もともと、イースター・パレードの主演は「雨に唄えば」のジーン・ケリーに決まっていたのですが、ケリーが足を骨折したため、代役として、2年前に引退していたアステアに声がかかり、48歳アステアの復活をかけた映画でもありました。
3分50秒のノーカットシーン、何度見ても、奇跡的な素晴らしさで、アステアのことをキング・オブ・ポップのマイケル・ジャクソンが最も尊敬するダンサーだと称えたことを、深く納得させられる名シーンです。
しかし、私が映画「イースター・パレード」の中で、最も心に残ったシーンは、アステアの踊りでもなく、ガーランドの歌でもありません。
それは、ドンがハナーと初稽古の時に登場するピアノ伴奏者の存在です。
酒場の踊り子経験しかないハナーに、ドンは辛抱強く、ゆっくり丁寧に、ショーダンスのステップを解説し、だんだんテンポアップしていきますが、ピアノ伴奏の青年は、ドンとハナーの動きを観察しながら、実に上手くピアノを弾いています。
「イースター・パレード」の時代設定は1912年(明治45年)ですが、アメリカには当然のようにダンス伴奏を職業にするピアニストが存在していたのだなあと、私は感心したのです。
映画の中のダンス専門のピアノ伴奏者は、ジュディ・ガーランドの娘、ライザ・ミネリ主演の映画「ステッピング・アウト」にも登場します。
ライザの役は、下町のダンス教室の先生で、彼女の教室のピアノ伴奏者は、老齢の気難しいおばあちゃんピアニストです。
ダンス留学経験はないので、映画の中でしか、確認できないけれど、当然のようにアメリカには100年以上前から、ピアノ伴奏者が職業として成立していることに私は感心したわけです。
日本のバレエの始まりは、1919年に亡命してきた、ロシア人のバレリーナ、エリアナ・パブロワが鎌倉に開いたバレエ教室が最初とされ、100年以上過ぎた現在では、海外のバレエ団で日本人が大勢活躍しています。
けれども、それに反して、バレエ伴奏を専門にする日本人ピアニストは、ほとんど見かけません。
実に不思議です。
白鳥の湖やくるみ割人形など、有名なバレエ作品は、私にとって譜読みに手間取るものの、ピアノコンチェルトのように歯が立たないわけではありません。
ベートーベンやモーツァルトのソナタが弾ける技量があれば、どなたでも、バレエ伴奏ができると、私が発表会で生徒さんのバレエ伴奏をしてみて気がつきました。
お世辞かもしれませんが、私のバレエ生徒さんは、生ピアノで踊ると、実に気持ち良いと、口をそろえて言います。
それに気を良くした私は、昨年12月からスタートさせた公民館のバレエ講座では、友人のピアノの先生を口説いて、生演奏のピアノ伴奏で、レッスンをしています。
友人はもちろん、バレエ伴奏は未経験ですが、彼女自身の刺激になって面白いと、言ってくれて、ますます私は気を良くしています。
今レッスンに使っている曲は、ピアノ経験者なら誰もが知っているブルクミューラーで、公民館に踊りにやってくる生徒さんも、少女の頃にピアノを習っていた時に弾いたことがあるので、「懐かしい」と好評です。
発掘すれば、もっともっと、バレエレッスンに向いている優しいピアノ曲がありそうです。
また、ひとつやることが増えましたが、楽しくなりそうです。
2023年1月29日
大江利子
0コメント