クーポラだより No.89~メニューインのヨガの本と私の心臓~


「メニューインのヨガの本を見つけたよ。要らない?」


古書店巡りから帰宅したある日、得意そうに夫は言いました。


「要らない。」


私は言いました。


そっけない私の返答にもめげずに、再び夫は尋ねました。


「メニューイン自身がヨガのポーズをしている写真が載っている本だよ。本当に要らないの?」


少し考えて私はまた言いました。

「やっぱり要らない。」


その日以来、幾度となく、夫からメニューインの本を勧められました。


しかし何度尋ねられても、理由ははっきりとしないのですが、その本を読む気になれず、また夫の方も、いつものように強引に買ってくることもなく、月日は流れ、夫はメニューインのヨガの本が、我が家の書棚に並ぶのを見ないままに、旅立ってしまいました。



メニューインとは、23年前、82歳で亡くなった世界的なヴァイオリニストです。



1916年、メニューインはアメリカで、音楽好きなユダヤ人の家庭に生まれました。



5歳で本格的なヴァイオリンのレッスンを始め、初舞台は7歳、難曲として知られているラロの「スペイン交響曲」をサンフランシスコ交響楽団と競演し、反響を呼びました。



その後、メニューインはヨーロッパに渡り、パリで、20世紀前半の3大ヴァイオリニストのひとりに数えられるジョルジョ・エネスコに、ドイツでは名教師のアドルフ・ブッシュの薫陶を受け、10歳でヨーロッパデビューを果たし、「神童」として評判になりました。



帰国後、11歳の時、カーネギー・ホールでベートーベンのヴァイオリン協奏曲をニューヨーク交響楽団と競演し、3千人の観客の感動を呼びました。



このとき、演奏前、少年メニューインの才能に懐疑的だった指揮者やオーケストラ団員たちですが、演奏後は、観客同様に、指揮者もオーケストラも会場に居合わせたすべての人を感動させたことが新聞で報じられました。



神童メニューインが、大人の仲間入りをしたのは13歳です。



当時、クラシック音楽界の中心地だったベルリンで、ブルーノ・ワルター指揮、ベルリン交響楽団とブラームス、ベートーベン、バッハの協奏曲を競演し、大成功を収めたのでした。



その後のメニューインは休むことなく演奏活動を行いましたが、20歳の時、一年間休止します。



7歳でデビューして以来、本能的に演奏していたメニューインは、自分のヴァイオリン・テクニックに疑念を抱き、このままでは、長続きしないと自己分析し、テクニックを磨き直すことにしたのです。



そして、演奏を再開したのちのメニューインは、コンサートホールにやってくる観客のためだけでなく、若い才能のための音楽学校や音楽祭を設立、またジャンルもクラッシックだけに留まらず、ジャズのステファン・グラッペリやインド音楽のラヴィ・シャンカールともコラボレーションし、活動を多方面に広げていきました。



また、第二次世界大戦を経験し、世界各地で慰問演奏の経験をもつメニューインは、人道的な見地から教育、執筆、指揮にもエネルギーを注ぎました。



ヴァイオリン奏者は、顎で楽器を挟み、巻き込むように左手首を折曲げながら指で弦を押さえるという独特な姿勢で演奏するため、体力と精神力を酷使します。



そのためにヴァイオリニストのソリスト生命は、ピアニストなどに比べると、短命だと言われています。



しかしメニューインは、年齢を重ねても、みずみずしい演奏技術を維持するために、ヨガや菜食主義など独自のトレーニング方法を編み出し、70歳の時に『ヴァイオリンを愛する人へ』という本を書きました。



夫が「メニューインのヨガの本」と呼び、勧めてくれたのは、この『ヴァイオリンを愛する人へ』です。



私はこの『ヴァイオリンを愛する人へ』を、今回のクーポラだよりのために、インターネットで探して、自分で購入したものを、先ほど読み終えたところです。



本には、メニューインの演奏活動を支えた、ヨガを取り入れた彼独自の練習方法が、具体的に書かれており、ヨガのポーズをとるモデルは70歳になったメニューイン本人で、まさしく、私が伝えたいと思っているベルカント唱法(無理なく低音から高音まで、なめらかな響きで歌うオペラの発声法)を習得するために、バレエが有益だと感じ、日々、私が実践していることと共通していました。



そして、夫が生きている間、彼が勧めてくれたにもかかわらず、私はその本を「欲しい」とも言えなかった理由も、今やっとわかりました。



夫と暮らしている頃の私は、歌の方は、すでに師匠の元を離れ、自力で曲を仕上げて、コンサートに臨むまでになっていましたが、バレエの方は、毎日のようにお稽古場に通い、先生が与えてくれた振りを覚えるのが精一杯で、その動きが、ベルカント唱法にどのように具体的に有効かを、人に伝える余裕も言葉さえも見つからない状態でした。



バレリーナのようにしなやかで柔軟性のある体で発声することが、完璧なベルカント唱法につながるという手ごたえがあるだけで、どうしたら他人に伝えられるか答えも見つからず、自分で編み出した練習方法でひたすら歌とバレエのお稽古を積み重ね、そのことを知っているのは夫だけでした。



そんな時に、自力で答えを発見する前に、いかに世界的なヴァイオリニストとはいえ、『ヴァイオリンを愛する人へ』を読み、他人の出した答えを、自分の答えの参考にするのは、ずるいような気がして、私は夫に「要らない」と答えたのでした。



なんとも、意地っ張りで頑固だと、自分でもあきれますが、自分で考えて実践し、何がしかの成果を得られないと、人に自信をもって伝えられないと思ったからです。



ところで、先月、2年ぶりに、心臓内科の名医のクリニックで、心臓と頸動脈の血管の検査をしていただき、まったくの異常なし、血管はとても若い、と、お墨付きをいただきました。



20代後半には、長年使い続けた喘息薬のために、心臓をひどく傷めて、突然死を避けるために、ペースメーカー手術を受けるか、薬を一生飲み続けるようにと別の医師から迫られたこともある私ですが、長年続けたバレエと歌と粗食のおかげで、いつの間にか年齢以上に若く健康な心臓を取り戻していました。



メニューインのように世界的な名声を得た演奏家ではないけれど、歌とバレエによる私の心臓の変化は驚異的ではないでしょうか?



バレエを取り入れたベルカント唱法の練習と食事を、活字にまとめる自信が、やっと出てきた私です。


2022年7月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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