クーポラだより No.88~落語「本能寺」とYouTube(ユー・チューブ)~


パソコン仕事で、頭が疲れて、どうしようもないときの私の特効薬は落語です。


最近の私のお気に入りは、「本能寺」です。


落語「本能寺」の時代背景は、大衆娯楽は歌舞伎や浄瑠璃など見世物小屋の芝居が中心で、まだテレビやラジオがない頃です。


大阪のとある芝居小屋で、本能寺の変を主題にした人気狂言「三日太平記」の幕があきました。


舞台は、本能寺、天下統一目前の小田春永(織田信長)の御前です。


(「三日太平記」が完成した当時、実名では、具合が悪いことがあったので、武将の名前は少し変えられていました。)


武智光秀(明智光秀)は、面会に上がった主君の小田春永(織田信長)の勘気に触れ、万座の前で烏帽子の下の額から血がにじむほど、小姓の森蘭丸から、鉄扇で激しく打たれ、恥をかきました。


この一件で、自尊心を砕かれた光秀は謀反を決意し、春永の寝込みを襲います。


まさかの翻意に、春永側の手勢は手薄でした。


暗闇のなか、美しき小姓、森蘭丸までも髪振り乱しての大立ち回り、お囃子に合わせた殺陣の真っ最中、舞台上には、大量のイナゴがピョンピョン跳び回り始めました。


イナゴの持ち主は、客席の最前列で見ていたおばあさんでした。


田舎からやって来たおばあさんは、大阪の孫のお土産にと、イナゴをたくさん捕まえて、袋に入れて手に持っていましたが、芝居に夢中になるうちに、ついつい袋の口が緩んで、中からイナゴが逃げ出してしまったのです。


お芝居はイナゴで滅茶苦茶になり、驚いた役者が言います。


「何でこないぎょ~さん、イナゴが出てきたんやろ?」


「おおかた前のお客が、青田らしぃわい。」


青田の客とは、芝居では、ただ見の客のことを意味し、このセリフがサゲ(オチ)になります。


「本能寺」は、噺家にとって技術的に難しく、やっかいな落語です。


イナゴが登場するサゲ(オチ)の直前までは、「三日太平記」なので、歌舞伎の型通りの身ぶりと仰々しい言い回しを使って、何人も演じ分けなければならず、また仮に噺家に十分な技量があったとしても、聞き手に、歌舞伎や江戸時代の大衆芝居の知識がなかったら、「本能寺」の面白さは、お客に伝わりません。


落語「本能寺」の始まりは江戸後期ですが、時代が下り、大衆娯楽が多様化するに従って上演する噺家は減っていき、長らく途絶えていました。


しかし、1981年(昭和56年)、三代目桂米朝が復活させ、「本能寺」は、ふたたび高座にのぼるようになりました。


私は、この復活の祖の米朝師匠の「本能寺」が大好きなのです。


もっと正確に言うと米朝師匠の「本能寺」のまくら(落語の演目に入る前の導入部分の話)に、とても魅了されているのです。


米朝師匠は、まくらの中で、木戸銭や青田など当時の芝居小屋の風習、江戸庶民の娯楽など、聞き手の足らない知識を巧みに補いながら、スムースに「本能寺」の世界へ入れるように導いてくれます。


そして圧巻なのは、歌舞伎の型の説明です。


例えば泣き方ですが、一本調子な子供、うちわであおぐ老婆、鼻に手ぬぐいを当てる男(タチ)役、手のひらを裏返すお姫様と、登場人物による型の違いをおもしろおかしく説明しつつ、セリフ付きで見事に演じわけてくれます。


米朝師匠のまくらは、本能寺に限らず、どの落語でも、聞いているだけで、その時代の知識や教養を広げることができて、生きた授業を受けているようです。


もともと落語家の始まりは、約400年前、巧みな話術と博学な知識で、武将や将軍の話相手をしていた、御伽衆(おとぎしゅう)だと言われています。


そして、800人もいた豊臣秀吉の御伽衆のひとり、安楽庵策伝が落語の祖だと言われています。


安楽庵策伝は、美濃国の武将、金森定近の子といわれ、幼い頃に出家し、落語に大きな影響を与えた『醒酔笑(せいすいしょう)』という1039話の笑話集の著者です。


三代目桂米朝も神職の家に生まれ、学生時代に神職の資格も取得しましたが、珍しい落語を見たことがきっかけで、消滅の危機にあった上方落語の復興に生涯をかけた人で、上方落語界初の人間国宝となり、彼の著作物はLP、CD、DVDの音声、映像記録の他、落語全集やエッセイなど、さながら現代の安楽庵策伝です。



三代目桂米朝は2015年に89歳で亡くなっていますが、私が頻繁に彼の落語を見るようになったのは、師匠の死後で、7年前から止むに止まれず始めたパソコンで、インターネットに残された米朝師匠の絶頂期1970年代から1980年代の映像記録を見つけて感動したからです。



1970年代から1980年代の私は、少女から大人の階段を駆けのぼり、中学校の先生として四苦八苦し、目の前のことをこなすことに精いっぱいな時代で、米朝師匠のお噺を生で聞くチャンスは、いくらでもあったろうに、まったくその魅力に開眼することはなく、彼の死後に、やっと気がつきました。



今、私が、米朝師匠に会えるのは、インターネットのYouTubeという国際的な動画配信サービスです。



YouTube(ユー・チューブ)とは、「あなたのブラウン管」という意味で、17年前、アメリカと中国とドイツの3人の若いエンジニアが作った仕組みで、一方的に見るだけでなく、誰でも自由に動画を作って発信し、世界中の人に見てもらえる素晴らしい仕組みです。



動画の作り方は簡単です。



スマホのカメラ機能で、発表したいものを撮影して、簡単な手続きとルールを守ってYouTubeに転送するだけです。



最近の私は、このYouTubeに、自分でつくった動画をせっせと転送し、文字だけでは伝えきれないことを、発信しています。



オペラの発声や伴奏、大人バレエの振り付け、一部の人々しか記憶にない飛行機ことなどです。



私の発信する動画が、いつ、誰の役に立つどうかは、未知数ですが、誰かが、いつか必要としてくれるかもしれません。



私が映像記録の米朝師匠の本能寺に魅了され、日々、癒され、励まされているように。



そんなかすかな希望に支えられながら、せっせと動画をつくる今日この頃です。

2022年6月29日

大江利子


~参考文献(大江完蔵書~)

桂米朝著『米朝よもやま話』 朝日新聞社

興津要著 角川選書4『落語』 角川書店

大阪府立上方演芸資料館編者 『上方演芸大全』創元社

三遊亭圓生『寄席育ち』 青蛙房

笑福亭松鶴『上方落語』 講談社


大江利子のYouTubeのチャンネル

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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