クーポラだよりNo.87~古典の先生と大伴家持の歌碑~


「百人一首を1番から30番まで暗唱したら特別点をあげますよ」



41年前の初夏、私が通っていた女子高の古典の先生は、「万葉集」の授業のあと、静かにおっしゃいました。



その古典の先生は、いつも素敵なスカーフを首に巻き、上品な淡い色のスーツ姿で教室に現れて、時間通りに授業を始めて終わる、ベテランの女性教師でした。



私が在籍していた女子高の音楽科のクラスは、先生によって授業態度を変える、生意気な集団でしたが、その古典の先生の前では、皆、淑女然としていました。



お年頃の女学生たちを授業に集中させるには、先生の指導力が問われます。



冗談をはさみながら漫談のような授業をする、あるいは、その真逆に、厳格な態度で全体主義的な授業をする、小テストを頻繁に行って個々の理解度を把握し、丁寧な個別指導をする、などいろいろな方法があります。



その先生は、どれにもあてはまらず、淡々と古文の解説をされるだけでしたが、やんちゃな同級生たちは、魔法にかかったように、先生の授業に集中していました。



先生の語り口は、教養に裏打ちされた典雅な風格が滲みでて、淑女という言葉がぴったりでした。



同級生たちは、淑女の前で、下品で粗野な姿を見せることは、恥ずかしかったのかもしれません。



淑女な先生が、授業内容から逸脱した話題を取り上げることはありませんでしたが、一度だけ例外がありました。



それは源氏物語の「夕顔」の授業の時です。



先生は、平安時代の和歌を例にあげて、男女の恋の駆け引きを熱く語ってくれました。



淑女な先生の情熱的で意外な一面を見て、私はその時以来、先生と古典が好きになりました。



そんな先生が、百人一首30首を暗唱すれば特別点をくださる、とおっしゃったので、私は、即、覚えることを決心し、一週間後には、職員室の先生の前で暗唱していました。



私が暗唱を即決した目的は、古典成績の加算はもちろんですが、先生から褒め言葉をもらえると期待していたからでした。



しかし、30首を正確によどみなく暗唱しても、先生は、いつもの口調で「はい、よくできました。成績に加算しておきます。」と淡々とおっしゃっただけでした。



期待外れのそっけない言葉に、私はがっかりしました。



けれども、たかだか30首の和歌の暗唱ができたからといって、過大な褒め言葉をいただくよりも、人生においてもっと大切なことがあると先生から学んだのです。



百人一首は、飛鳥時代(593年~694年)から鎌倉時代初期(1192年~1199年ごろ)までの代表的な百歌人の歌を一首ずつ集めてつくられた秀歌選で、小倉百人一首のことを指します。



小倉百人一首の正式な名前は小倉山荘色紙和歌で、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した歌人、藤原定家が、武将の宇都宮頼綱の依頼を受けて、京都の小倉山にあった頼綱の別荘の襖を飾るために選出した歌で、1235年5月27日に完成しました。



小倉百人一首の選出元は、古今和歌集や新古今和歌集など勅撰(天皇や上皇の命によって選ばれた)和歌集からで、年代順に並んでいます。



1番歌「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ」は、中臣鎌足と大化の改新を行った天智天皇(中大兄王子)、2番歌「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」はその皇女で、薬師寺塔を完成させた持統天皇、と歴史的にも重要な人物の和歌がつぎつぎと登場します。



歌の主題は、恋が43首、四季が32首、別れが1首、旅が4首、その他20首で、いずれの歌も、季節の移ろいや自然を愛でた背後に感情を包み隠した日本人の美意識がくみとれます。



41年前、私が暗唱した30首の中で、もっとも印象的だった歌は、大伴家持が詠んだ6番歌です。



「かささぎの渡せる橋に置く霜の白きをみれば夜ぞふけにける」



=七夕の日、牽牛と織姫を逢わせるために、かささぎが翼を連ねて渡したという橋、天の川にちらばる霜のようにさえざえとした星の群れの白さを見ていると、夜もふけたのだなあと感じてしまうよ。



七夕伝説を登場させた家持の歌は、古典知識の浅い私でもわかりやすく覚えやすかったのでしょう。



家持は奈良時代(718年頃~785年)、武門の名家に生まれた貴族で、宮中に出仕し、さまざま役職を歴任しながら歌をつくり、庶民の歌にも耳を傾け、日本に現存する最古の歌集「万葉集」の編纂に深く関わったとされる歌人です。



万葉集には、天皇、貴族だけでなく、下級役人、防人、農民、大道芸人など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められていますが、それは家持の功績が大きいとされています。



家持は若い頃、国司として越中(富山県)地方へ赴任し、5年間都を離れていたことがありましたが、その間に、北陸の自然をテーマにした歌をたくさんつくっています。



「之乎路(しおじ)から 直越(ただこ)え来れば 羽咋(はくい)の海(うみ) 朝凪(あさなぎ)したり 船梶(ふねかじ)もがも」



=志乎路の山道を越えてくると、羽咋の海は朝なぎをしている。舟と梶(櫂)があればよいのに。



つい先日、家持のこの歌に私は、偶然出会いました。



2022年5月22日、石川県羽咋市の千里浜海岸にゴールするオートバイラリーに4回目の参戦をしたときです。



同日日没前に4回目の完走を果たした後、ゴール受付テントから駐車場に戻るとき、脇道に立っていた「家持の歌」の案内看板に目が留まりました。



その看板に誘われるように丘を登っていくと、立派な石に刻まれた歌碑がありました。



この歌の存在は初めて知りましたが、家持の名前で、41年前の古典の先生の古い記憶がよみがえりました。



振り返ってみれば、30首の歌を暗唱しても、大げさに褒めず、淡々と私を受け止めてくれた、あの先生のおかげで、以来私は、どんなに苦労して結果を出しても、出さなくても、また身の回りの環境がどんなに変化しようと、心健やかに前向きに日々を送れるようになったからです。



家持も主君がつぎつぎと変わりました。



最初は奈良の大仏を作らせた聖武天皇、次はその皇女で百万塔陀羅尼を作らせた称徳天皇(孝謙)、淳仁天皇、光仁天皇、桓武天皇、と政変に巻き込まれながらも、家持は歌を忘れず、万葉集の巻末4516番歌は、彼の祝いの歌で締めくくりました。



「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事」

(あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと)


=新年を迎え、初春も迎えた今日、降る雪のように良い事もたくさん積もれよ



来年、5回目のラリーにも、安全無事に千里浜海岸へゴールできるよう、健やかな心でいようと思います。



2022年5月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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