クーポラだより No.86~調布とカヴァッリ先生のカネロニとオペラの訳詞~


岡山には調布(ちょうふ)という、隠れた名菓があります。



全国的に知られている岡山名菓は吉備団子ですが、地元民同士の手土産として、ひそかで、根強い人気があるのは調布です。



私は子供の頃、訪問客の手土産が、吉備団子ではなく、調布だと、非常に嬉しかったことを覚えています。



なぜなら吉備団子は、甘さ控え目の求肥を、丸く成形しただけの小さなお団子で、上品過ぎて、子供心に物足らなかったのですが、調布の方は、それよりも甘くて、大きな求肥をカステラ生地で巻き、その姿はユニークで、食べ応えもあり、とても満足感がありました。



調布のカステラ生地は、布のように薄く、表面はきめ細かく、しっとりしており、口に運んだときは、ほんのりと卵の香りが鼻をくすぐります。



ねっちり甘い求肥と、卵風味のカステラ生地のバランスが絶妙な調布は、私の大好物です。



調布は岡山発祥のお菓子で、約140年前、倉敷出身の和菓子職人、間野与平によって考案されました。



江戸時代末期、京都御所近くで、与平は、菓子店を営んでいましたが、1864年8月20日、「蛤御門の変」と呼ばれた武力衝突、すなわち尊王攘夷をかけて挙兵した長州藩が市街戦を繰り広げたために、京都を焼け出されてしまいました。



岡山に戻ってきた与平は、岡山市東区に漆器等を扱う「金華堂」という店を開きました。



金華堂はその後、1889年(明治22年)創業した翁軒に、調布の製法を譲り、岡山市紙屋町商店街で営んでいる翁軒は、今もその味を伝えています。



調布という名前は、古代日本の税収制度「租庸調」の「調」に由来します。



求肥をカステラ生地で包んだ形が、税として収めた、巻き布(調)の形に、似ていたからです。



また、調布から、「若鮎」というお菓子も派生し、岡山県外の和菓子屋で時々見かけます。



若鮎は、求肥をカステラで三日月型に包み、その先端部分を魚の顔に、後端部分は尻尾になるよう、焼き文字を入れて、鮎の姿にした愛らしい和菓子です。



調布好きな私は、ふらっと立ち寄った和菓子屋で「若鮎」を見つけると、必ず買って、すぐに食べてしまいます。



若鮎も調布も、その細長い形は、口を上品に開けたジャストサイズなので、黒文字(菓子楊枝)を使わなくとも、手でつまんで気軽に食べることができます。



食べたあとも、大福のように、口の周りや歯に粉がつくこともなく、またお茶がなくても、喉に引っかかることもなく、戸外でも安心して食べられます。



こんなにも食べやすくて美味しい秘密は、菓子職人たちが、求肥や薄いカステラ生地に、愛情と惜しみない手間をかけているからこそ、と想像します。



食材を食材で巻いたり、包んだり、詰め物をしたりと、ひと手間かけたお料理は、それぞれ単体で食べるよりも、何倍も美味しく感じられます。



私も夫の喜ぶ顔が見たくて、ロールキャベツや皮から手作りした餃子、スルメイカの姿寿司など、巻いたり、包んだり、詰め物をした料理を、よく献立に登場させました。



自分が食べるだけなら、考えただけでも面倒な料理も、喜んで食べてくれる人がいたからこそ、やりがいがあるというものです。



私のイタリアの歌の恩師、カヴァッリ先生も、最愛のご主人のために、手間のかかる詰め物をしたお料理、「カネロニ」をよく作られていました。



カネロニとは、イタリア語で、大きな葦(Cannelloni)という意味の円筒形のパスタの一種です。



イタリアでは、カネロニに、挽肉やリコッタチーズなど、好みの具材で詰め物をし、その上にベシャメルソース(ホワイトソース)をかけて、オーブンで焼いて、いただきます。



カヴァッリ先生は、ご病気のため咀嚼がままならず、ナイフやフォークの扱いもおぼつかなくなったご主人のために、ストレスなく食事ができるようにと、とても手間のかかるカネロニ・スピナーチを手作りされておられました。



スピナーチ(supinaci)とは、ほうれん草のことです。



イタリアでは、スピナーチは、生でも売られていますが、下茹でを済ませ、ボール状にしたスピナーチも売られています。



けれども先生は、ご主人に安全で美味しい食を提供するため、また、たんぱく質と野菜のバランスを考えて、見た目も彩りよく、楽しく食事が進むようにと、自ら茹でたスピナーチを、みじん切りにし、ひき肉に混ぜこみ、それをカネロニの詰め物にして、食卓に出しておられました。



かつて、オペラの殿堂「スカラ座」で、10年以上もプリマドンナ(主役女性歌手)の座にあったカヴァッリ先生が歌手だった頃と同様に、主婦の仕事に対しても、手間を惜しまず、愛情を注ぎ続けるご様子を目の当たりにして、当時30歳だった私は、深く感動を覚えました。



あれから、約30年の時が過ぎ、今の私には、いくら手間をかけてお料理しても、喜んで食べてくれる家族はいなくなりました。



しかし、その代わりに、オペラの訳詞という、とてもやりがいのある仕事を見つけました。



毎月一回、教会で開催している合唱講座も、来月50回目を迎えますが、その講座で、最近は積極的にオペラのアリアやデュエットを取り入れています。



ただし、オペラの原語をそのままだと、発音が難解ですし、さりとて、出版社から出回っている高名な先生がつけられた格調高い訳詞もまた、合唱講座の皆様方には、歌いにくいので、はばかりながら私が、新しい訳詞を作っているのです。



訳詞を新しくすることは、想像以上に手間のかかる作業ですが、私が考えた訳詞で、喜んで歌ってくださる方々がおられると思うだけで、とてもやりがいがあります。



今月は、カルメンの誘惑の歌「セギディリャ」の訳詞をつくりました。



来月の合唱講座では、何のオペラに訳詞を作りましょう?



曲選びの段階から、とてもワクワクします。



このワクワク感は、夫の喜ぶ顔が見たくて、献立を考えながら、食材を選んでいる時と、

そっくりです。



2022年4月29日

大江利子

カヴァッリ先生と筆者:イタリアミラノ市のカヴァッリ先生のご自宅でレッスン風景

1993年12月27日 撮影:大江完


↓ 現役歌手時代のカヴァッリ先生の歌声

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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